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大阪高等裁判所 昭和27年(う)129号 判決

控訴人 被告人 余田実次 外一名

弁護人 大槻弘道

検察官 井鴫磐根関与

主文

原判決中被告人余田実次に関する部分及び被告人森下佐七に対し有罪を言渡した部分を破棄する。

本件を京都地方裁判所に差し戻す。

理由

被告人等の弁護人大槻弘道の控訴趣意は本件記録に綴つている控訴趣意書記載のとおりであるから引用する。

刑事訴訟法第三九二条第二項により職権で調査するに、凡そ被告人は訴訟の当事者として供述の義務なくいわゆる黙否権を有するに反し、証人は当該事件の第三者たることをその資格要件とし宣誓をなした上真実を証言する義務を有するものであるから、被告人をその儘当該事件の証人として尋問することを得ないこと勿論であつて、このことは被告人が数名ある場合に該被告人相互間においても同一である。すなわち、共同被告人は事件を分離し当該訴訟における被告人たる地位から脱退せしめない限り、たとえその被告人には全然関係なく他の共同被告人のみに関する事項についてもなおその被告人を証人として尋問することは許容されないものと解するを相当とする。然るに、原審第三回乃至第六回各公判調書並びに原判決によると、原審は被告人両名に対する各商法違反、公正証書原本不実記載、同行使並びに詐欺被告事件及び原審相被告人岡田栄次郎に対する商法違反、公正証書原本不実記載、同行使並びに貸金業等の取締に関する法律違反被告事件を併合審理し、第三回公判期日において右被告人等三名をそれぞれ他の被告人の公訴事実に関する事項につき証人として尋問する旨決定をなし、いずれも事件を分離することなく第四回及び第五回公判期日において右相被告人岡田栄次郎を、第五回公判期日において被告人余田実次を、第六回公判期日において被告人森下佐七をそれぞれ宣誓させた上証人として尋問し、その証言中証人岡田栄次郎の証言を採つて原判示第一の被告人余田実次の商法違反の事実及び同第四の被告人森下佐七の商法違反の事実の証拠に供するとともに証人岡田栄次郎及び同余田実次の各証言を採つて原判示第九の被告人森下佐七の公正証書原本不実記載並びに同行使の事実の証拠に供していることが明らかであるから、右各証人尋問は違法であつて、その証言は証拠能力を欠き、従つて原判決がそのうち前掲各証人の証言を被告人等の断罪の資料に供したのも亦違法である。そして右各訴訟手続の違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決中被告人余田実次に関する部分及び被告人森下佐七に対し有罪を言渡した部分は到底破棄を免れない。

よつて、被告人等の弁護人大槻弘道の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第三七九条第四〇〇条本文に従い主文のとおり判決する。

(裁判長判事 富田仲次郎 判事 棚木靱雄 判事 入江菊之助)

弁護人大槻弘道の控訴趣意

第一点原判決は判決に影響を及ぼすこと明らかな重大な事実の誤認があると思料する。原判決は事実理由に於て「第一被告人余田実次は昭和二十三年十一月九日頃福知山市内に於て当時株式会社丹和銀行福知山駅前出張所主任であつた岡田栄治郎に依頼しその当時被告人が設立計画中であつた山陰樫材工業株式会社の株金の払込金として金五十万円が右銀行出張所に払込まれた旨の内容虚偽の右岡田栄治郎発行名義の株式払込金保管証明書の作成をうけ、もつて会社設立発起人として会社の設立に関し株金の払込を仮装する為め預合を為し云々たものである」と記載し同第四事実に於ても同趣旨を判示しているのである。而して法律理由に於て「被告人等の判示商法違反(預合)の所為はいずれも商法第四百九十一条に云々該当すと記載し以つて預合の罪」を認定しているのである。然しながら商法第四百九十一条の預合とは株主と発起人間、又は株主と会社間、或は発起人相互間に於て、通謀して会社の負担に帰すべき虚偽の債権を作成し之れと払込むべき株金を相殺し、又は架空の払込金領収証を交付し、或は払込金領収証を相互に交換する等の行為に拠り、会社に資本金を全く払込ましめず、又はこれに相当する財産を会社に帰せしめざる行為を云うのであつて、株主又は発起人或は会社がその相互間以外の第三者との間に於て為す類似行為は之を含まず、又払込金相当の財産を会社に帰属せしむる行為は当然これを含まないことは論を俟たないのである。商法第四九一条の規定が昭和十三年法律第七二号旧商法改正前に於ける会社設立規定の不備により生じたる左の如き行為を禁止せんが為めに初めて定められた点に観るも明らかなのである。而して本件を観れば、原審公判廷に於ける被告人余田実次、同森下佐七、証人岡田栄治郎、同船越潔等の供述に拠り明らかな如く、余田実次は昭和二十三年十一月九日頃山陰樫材株式会社設立前に、森下佐七は同二十六年五月下旬三丹興業株式会社設立前に個人名義を以つて約束手形を振出し右岡田栄治郎が代表する株式会社京都銀行(当時何れも丹和銀行)より金五十万円を借受け、利息を支払つたのである。故に当該借入金は各その設立せんとする会社とは無関係に独立したる各個人の債務に過ぎないのは明白である。而して両名は、各その個人の借入金を各全株主の払込金として、株主に立替え、之れを山陰樫材株式会社又は三丹興業株式会社名義の払込保管金として各株式会社京都銀行に寄託したのであるから各金五十万円の保管金は右両名の借入金とは別個に独立したる各会社の預金となることは自明である。而して株式会社京都銀行の記帳が各その個人名義の貸付金と各両会社の預り金とを峻別していることは云う迄もない。拠而以而株式会社京都銀行は同出張所長又は支店長名義(岡田栄治郎名義)の各保管証明書を交付したのである。而して山陰樫材株式会社は昭和二十三年十一月十二日に三丹興業株式会社は同二十六年六月一日各設立登記が完了したのであるから、右各払込保管金は各その会社名義に拠らなければ、何人も之を払出請求をすることを得ず且つ銀行も之を払出し得ないことは極めて明らかである。当然各会社は完全な資本金相当の財産を有する会社となるのであつて、払込の仮装は存在し得ず預合行為とはなり得ないのである。而して各本件に於て、岡田証人は余田又は森下に「手形貸付を為し払込保管証明書を出すと同時に各両名より保管金払出請求書を取つて置き、各会社設立登記完了と共に、保管金を払戻し、手形貸付金回収の記帳操作を為した」る主旨を供述しているのであつて、原判決は、この証言を以て、本件払込を仮装と断じ預合と認定したことは明らかなのであるが、右の如き行為は、明らかに会社の預金を個人に払戻す行為であつて、払出人名義の如何に従い余田又は森下は或は詐欺罪に問われ横領罪の容疑を受け併せて払出担当者の岡田は背任容疑を受くるのみであつて、会社預金(資本金)には何等の影響を生ずるものでないことは商法第一八九条第二項に明記さるるところである。拠而以而本件所為が商法第四九一条の預合の罪となることは法律上不可能なのである。而り然るにも拘わらず原判決は右の如き証言と事実に基づき本件所為を各預合の罪と認定処断したのであるから云う迄もなく判決に影響を及ぼすこと明らかな重大な事実を誤認したものであると云わねばならない。

第二点原判決は判決に影響を及ぼすこと明らかな重大な事実の誤認があると思料する。原判決は事実理由に於て「第八被告人余田実次は昭和二十五年七月頃接着剤販売の共同経営者佐々木忠太郎が保管していた岩崎清太郎の鉄道退職金証明書を担保として金銭を融通する相手を物色しその貸主の承諾を得たるときは佐々木に於て印鑑及び年金受領の委任状を被告人に交付する約束で佐々木より右年金証書一通を預かつたので佐々木に於ては右証書だけを担保として提供されることを予想せず従つてその証書のみでは所期の担保となり得ないのに拘らず同月下旬頃福知山市内記六丁目七十二番地の石けん卸小売業福田義信方に於て同人に対し右事実を秘し同人がその間の事情に通じないのを奇貨とし右証書が有力な物的担保となるもののように同人を申欺むきその旨誤信させた上爾後右証書を担保に差入れることを条件として石けんの掛売りを承諾させ因つて同人より別紙詐欺行為一覧表の通り石けんの交付を受けて之を騙取し云々たものである」と記載し証拠理由に於て「第八の事実は一、被告人原田実次の当公判廷に於ける一部供述一、当公判廷に於ける証人福田義信同佐々木忠太郎の各証言一、云々により之を認めると記載し以つて本件所為を詐欺罪と認定したのである、然しながら本件所為が詐欺罪を構成するや否やは、(一)鉄道退職年金証書のみが一般社会に於て貸金又は信用担保に供せられているか否か(二)被告人余田がその担保とならざることを知つていたかどうか(三)被害者福田が原判決の所謂物的担保として之を受託したかどうか(四)本件石けんの代金の担保は本件年金証書のみであつたのか、佐々木忠太郎の信用状態に在つたのか否かに依つて決定せらるるのであつて、原判決判示の如き証人佐々木忠太郎と被告人余田実次との「印鑑と委件状を交付する約束」如何などは何等本件犯罪の成否には関係が無いのである(而も斯くの如き約束が有つた事実は原判決摘示証拠中一言も存在しないのである)。而して原判決摘示証拠に拠つて之を究めれば、(一)証人佐々木忠太郎の原審公判に於ける供述に拠れば「委任状と印鑑が無ければ年金はもらえないと余田に云つた事はない」「余田と同道して金融方を頼みに行つた事がありますが、その時印鑑と委任状を持参したことはない」「余田が洋服屋へ五千円の担保に入れていたらしい」等の旨を明らかにし、一般社会に於ては、鉄道退職年金証書が、委任状及び印鑑なくして信用担保に供されている事実が明らかなのである。(二)而して又被告人余田実次が有力なる担保であると確信していた事実は、被告人の供述のみならず、佐々木忠太郎の年金証書を洋服代金の担保に提供し、且つその代金を支払つている事実(前示佐々木の証言)に徴し明白である。(三)而して証人福田義信の証言に拠れば「これが(年金証書)無ければ年金を受取れないものであると申しました」。「証人はこれが無ければ、年金はもらえないものを私が預つて居ればこちらえも払つて呉れるだろうと考えました」「証人はこの証書が無ければ年金が出ないものと思つたので私が預つている間、岩崎は年金を貰つていないと信じていました」等の旨を供述しているのであつて、本件退職年金証書が、福田自ら換金して、直ちに売掛代金に充当出来ると信じていたのでも無く、又被告人が然く申向けたことも述べていないのである。乃わち原判決判示の如く本件退職年金証書は所謂物的担保、即代金債務不履行の場合は直ちに処分し換金する証券として受授されたのでないことは明白である。当然之が換金に必要なる印鑑及び委任状は必要としない状態に在つたことは明白である。(四)而して、証人佐々木忠太郎の証言に拠れば証人は福田に担保として預けてある事を知つて年金を受取つていたのです」「余田が払わなければ私が払うつもりでした。最後の責任は私が果すつもりでした」「若し余田が払わないならば私が払うと福田に云つた事があります」「証人の方から福田に二千円払いました」等々の旨を述べて居り、被告人余田と証人福田の信を自ら冒して年金を受領したることを明らかにし、且つ福田に対する石けん代金の支払担保は本件年金証書よりも、佐々木の信用にかけられていた事を明確にしているのである。而して更に被告人余田に於て、右証拠以外にその犯意を認定すべき証拠は全記録中一つも存せず却而「代金債務の精算書を請求し」「支払を保証する為めの誓約書を入れ」「支払の延期を求め」以つて詐欺の犯意無きことを明らかにする証拠が存在しているのである。(何れも証人福田義信の供述)果して然らば、本件被告人と福田義信との石けん売買は、業者間に於ける通例の信用取引に過ぎないのであつて、本件鉄道退職年金証書は、原判決の所謂、法律上厳格なる物的担保の主旨に於て、提供されていたのでは無く単に、被告人余田の信用を僅かに増す意味に於て提供されていたに過ぎないことは明らかである。従つて被告人余田は「印鑑と委任状無くば物的担保とならざることを秘匿し恰かも年金証書のみを以て、物的担保となるが如く申欺むき、福田義信を誤信せしめ」る必要なく、福田は亦誤信させらるる事無く取引が継続せられ、証人佐々木より支払われ又は被告人が支払を完了したに過ぎないことが、証拠上明白なのである。而り然る以上は如何にして、本件を詐欺罪なりと断定し得らるるであろうか、本件第十事実と併せ考覈すれば、本件も亦商人の売掛代金取立に関し司法権が悪用されたのでは無いかと疑わざるを得ないのである。然るにも拘わらず原判決は本件行為を詐欺罪なりと認定処断したのであるから明らかに重大な事実を誤認したものであると云わねばならない。

第三点原判決は判決に影響を及ぼすこと明らかな重大な事実の誤認がある。原判決は事実理由第九(一)に於て「被告人森下佐七は昭和二十六年三月頃岡田栄治郎から同人の余田実次及び余田藤太郎に対する債権の取立依頼をうけ当時岡田栄治郎から同人が右債権の担保の意味で余田実次、余田藤太郎等から預つていた同人等所有名義にある工場機械器具等に関する権利書類等関係書類を預つたのを奇貨とし之等の書類を利用しその権利を自己又は三丹興業株式会社に譲受けその公正証書を作成することにつき余田実次、余田藤太郎の承諾を受けていないのに同年六月四日福知山市字矢田二百七十八番地の四所在の公証人役場に於て公証人本多芳郎に対し余田藤太郎の印鑑証明書を呈示して自己が余田藤太郎から兵庫県氷上郡竹田村下竹田三千二百三番地の一所在の余田藤太郎所有の機械器具類数十点を昭和二十六年四月一日附を以つて代金八万円を以て買受けその売買契約公正証書作成につき売主余田藤太郎から一切の委任を受けているもののように装うて右契約に関する公正証書の作成方を依頼し右公証人をしてその旨誤信させた上同役場備付の公正証書の原本にその旨不実の記載をなさしめ云々たものである」と記載し、証拠理由に於て「第九の事実は一、当公廷に於ける証人岡田栄治郎、余田実次、余田藤太の各証言云々売買契約公正証書正本(検乙第七号証)により之を認め」と記載し以て本件所為を公正証書原本不実記載罪を構成すると断定したのである。然しながら

(一)検乙第七号証売買契約公正証書原本に拠れば本件余田藤太郎の判示機械器具は余田藤太郎より三丹興業株式会社に売渡されたるものなること極めて明確であつて一点の疑も存しないのである。而して之れが余田藤太郎より被告人森下佐七に売買せられたとの証拠は絶無なのである。然るに拘わらず原判決は被告人森下佐七が「岡田栄次郎から云々工場機械器具に関する権利書類等関係書類を預つたのを奇貨とし云々自己又は三丹興業株式会社に譲受け云々自己が余田藤太郎から云々買受けその売買契約公正証書を作成し」たものであると認定し恰かも被告人森下佐七が本件機械器具を不正に横領せんと企だて之れを擬装せんが為めに虚偽の売買契約公正証書の作成を為さしめたかの如く誣いているのである。爰は余りにも明らかなる事実理由と証拠理由のくいちがいを犯したるものであり、犯罪の性質を殊更に悪質化し判決に影響すること明らかな重大な事実を誤認したるものであると云わねばならない。

(二)更に弁甲第一号証余田藤太郎作成の公正証書作成委任状及び印鑑証明物件目録並に原審公判廷に於ける証人余田藤太郎同足立秀吉の各証言に拠れば(イ)本件余田藤太郎の委任状は昭和二十五年五月三十日(昭和二十六年五月三十日に非ず)岡田栄治郎が足立秀吉に依頼して作成せしめたものであり(ロ)印鑑が余田藤太郎の印鑑であることは相違なく(ハ)委任の内容は本件機械器具の売買契約公正証書作成の委任であり、而して買主たる宛名及び代金受任者名は悉く共に白地となつているのである。従つて拠つて作成さるる売買契約公正証書原本の買主名義及び代金額受任者は何人に如何に記載さるるも余田藤太郎の意思に反せざるは明らかである。原判決判示の如く重ねて余田藤太郎の承諾を得る要なく受任を装つたものでは断じてない。即ち右の証拠に拠れば、本件機械器具に関する限り余田藤太郎と何人との間に何人の手により、如何なる価額を以つて売買せられその売買契約公正証書が作成せらるるも法律上何等違法性を有するものでもなく、又余田藤太郎の意思に反するものでもないことは一点の疑も存しないのである。法律上正当な行為であり、事実上社会の慣行として認めらるることであり、民事上余田藤太郎は異議を主張する権利さえ存在しないのである。自ら当該委任状と印鑑証明と物件目録を持参し公証人に示したのに過ぎずして作成せられたる本件公正証書の作成が如何にして被告人森下佐七の公正証書原本不実記載を以つて論難し得るであろうか。機械的に無智なる労務者の使したると何等異る処は無いのである。而り然るにも拘わらず原判決は本件所為を公正証書原本不実記載なりと認定したものであるから明らかに判決に影響すること明らかな重大な事実の誤認があると云わねばならない。

(三)次いで原審公判廷に於ける被告人森下佐七及び同証人岡田栄治郎同船越潔の各供述並に弁乙第一号証(被告人森下佐七のデスクメモ)検甲第六号証の十一(株式払込金保管証明書)弁甲第五号証株券預り証並に第六起訴事実等の証拠を綜合考覈すれば、岡田栄治郎被告人森下は足立定男等と協議の上(イ)岡田栄治郎が余田実次及余田藤太郎より貸付金四十万円の担保として所有権を取得したる本件工場機械器具を現物出資し(ロ)新たに三丹興業株式会社を設立し(ハ)木材工場を経営して利益を計らんとし(ニ)岡田の現物出資は同会社の株券三百五十株として被告人森下に寄託し(ホ)岡田はその妻岡田ふみゑを監査役に就任せしめることとし(ヘ)右の手続き一切を被告人森下及び足立定男に委任し本件機械器具に関する一切の書類を寄託したるものなること又極めて明白である。即ち岡田栄治郎は昭和二十五年三月三十日足立秀吉に作成せしめたる余田藤太郎の本件機械器具売買契約公正証書作成委任状に拠りその所有権を取得したるものと確信し、これを三丹興業株式会社に出資し、その代償たる株式を取得しているのであり森下はその岡田の寄託とその委任に拠り岡田の意思の儘に使して本件公正証書を作成し足立は同様に工場建物の移転登記の使役に服したるものであること明らかなのである。従つて本件公正証書の作成に拠つて利益したるもの、権利を取得したる者は岡田のみであつて、森下は何等得るところも無いのである。果して然らば本件公正証書不実記載なりと仮定するも、その責任は被告人森下に帰属すべきで無く悉く岡田栄治郎の責に帰すべきである。仮に被告人森下に責任ありとするも当然岡田栄治郎はその主犯たる責任は免るべくもない。況んや今日に於ては、右三丹興業株式会社及び本件機械器具に関する一切の権利は岡田栄治郎が独り之を所有し支配し、被告人森下は全く何等の関係なき実情なるに於てをやである。而り然るにも拘わらず原判決は、被告人森下が右関係書類を預かりたるを奇貨とし、自己が余田藤太郎より買受けたりと盲断し森下単独の横領を目的とする公正証書不実記載なるが如く認定したのであるから、云う迄もなく原判決は判決に影響を及ぼすこと明らかな重大な事実の誤認があると云わねばならない。

第四点原判決は判決に影響を及ぼすこと明らかな重大な事実の誤認があると思料する。原判決は事実理由に於て「第十被告人森下佐七は昭和二十四年四月上旬頃福知山市京町貴金属商天野恒治方で同人に対し代金支払の意思なく又その能力もないのに代金は二、三日後に支払うからと申欺き同人から白金台ダイヤ入女持指輪一個(時価一万二千円相当)を買入名義で交付を受けて之を騙取したものである」と認定し証拠理由に於て「第十の事実は一、被告人森下佐七の当公廷に於ける一部供述(犯意の点を除く)一、当公判廷に於ける証人天野恒治の証言一、当公判廷に於ける証人井貝安治の一部証言一、芦田一夫作成の流質物売掛帳の写(検甲第五十四号証)により之を認めると記載本件詐欺罪を断定したのである。然しながら凡そ商人の商品売買代金の支払遅延又は支払拒絶行為を以て詐欺罪と断定せんが為めには、当該商人と買受人との平常の取引関係交際関係を詳細に取調べその取引が信用関係に基くか否かその支払遅延又は拒絶が取引残額の清算不明又は買受人の偶発的な経済的理由に基づく民事的紛争の結果に非ざるや否を明確にしなければならないことは明らかである。然らざれば不正なる商人は僅かなる偽証(本件に於ては二、三日後に払うと云つた等の証言)を以て司法機関を利用し商品代金の取立を敢行し無辜を寃に陥るる危険極めて深いからである。而して本件に於ては(一)原判決判示の如く被告人森下は全く犯意を有しなかつたことは明らかであり(二)原判決摘示被告人森下佐七の原審公判に於ける供述に拠れば、天野に対し平打金指輪(純金八匁)の代金一万六千円の残金九千円也の貸しがある旨を供述していることは明らかであり(天野はこれを森下に一万六千円で売り九千円で買戻したと供述しているので民事的の紛争が有つた事は明らかである)(三)況んや森下佐七及び天野恒治は共に古物業者であつて、両人は一ケ年前後の交際に於て、ウイスキー入れ、バンド、石油ランプ、シャープペンシル、櫓時計、五月人形の兜、純金の平打指輪等何れも数千円乃至一万数千円の古物を相互に売買し取引していることは、両者共に原審公判廷に於て一致供述しているのである。(四)而して相互に掛売りをした事もありますと天野も森下も共に供述しているのである。(五)更に原判決摘示原審公判に於ける証人井貝安治の証言に拠れば「天野から森下と相当の取引があると聞いたので本件は商取引の一部だと思つた」旨及び「森下は私がガラスかダイヤか、天野で作つたのだから天野へ行けば分ると言つた事があります、それは確かに聞きました」旨、而して井貝が本件指輪を天野へ持つて行つた旨の各明白な供述があるのである。(六)更に原審公判に於ける証人杉本彌蔵の証言に拠れば「天野が森下に対し九千円の借りがあると云つていた」旨の供述も存するのである。以上の証拠に拠れば、本件に於ては被告人森下には何等の犯意なく(詐欺したのであれば、天野にこれを見せしむる理がないことは経験法則上明白である)本件指輪は森下及び天野の取引関係の継続の一部であつて、その売買は全く相互の信頼関係に基づく行為であり、単にその残金の精算に於て相互の主張相反し民事的な紛争の結果精算未了に終つていたに過ぎない事案であることは何等疑を存しないのである。然るに原判決は爰点を究むることを為さず、単に証人天野の用いたる「二、三日後に支払うと云つた」「絶えず取引していたのでは無い」等の片言隻句に拘わり両者の取引関係、交際関係、信用関係更には紛争の内容又は、被告人の経済状態を綜合考覈するところなく詐欺罪の成立を断定したのであるから、云う迄もなく、判決に影響を及ぼすこと明らかな重大な事実の誤認があると思料する。

第五点原判決は刑の量定著しく不当であると思料する。原判決は主文に於て「被告人森下佐七を懲役一年四月に処する」と記載し被告人森下に対し実刑を科したのであるが、右刑は左の事由に拠り量定著しく不当であると云わねばならない、少くとも執行猶予の判決を与えるを相当と思料するのである。乃わち

(一)本件被告人岡田栄治郎同余田実次同森下佐七の犯罪内容を比較すれば、(イ)岡田栄治郎は、第二事実、第三事実(一)(二)、第五事実、第六事実(一)(二)、第七事実の五件の犯罪を認定され、(ロ)余田実次は、第一事実、第三事実(一)(二)、第八事実の三件の犯罪を認定され、(ハ)森下佐七は、第四事実、第六事実(一)(二)、第九事実(一)(二)、第十事実の四件を認定されているのであつて森下は恰かも三名の中間に居り、岡田の犯罪が最も多いのである。而も森下の犯罪中第九事実は本控訴趣意第三点に詳論の如く全く岡田の犯罪であるか、又は森下と共謀関係に在るか或は森下の罪とならざる疑の濃き事実であり第十の事実は又本控訴趣意第四点詳論の如く犯罪とならざる疑ある事案なのである。然る以上は云う迄も無く被告人森下の刑は岡田栄治郎よりは軽きか少くとも同様であるべきが正当である。然るに拘わらず原判決は岡田に対しては懲役一年二月に処し而も三年間その刑の執行を猶予するとの宣告をし森下には却而重く懲役一年四月に処したのである。犯罪の数及びその内容に照し明らかに公平正義に反したる処刑であると云わねばならない。

(二)被告人森下佐七は大正十五年五月及び昭和八年四月同十年二月傷害、詐欺、恐喝等の前科があることは明らかである。然しながら爾来満十七年間改悛更正の生活を送り何等反社会性の危険を有せざる者であるのみならず、右前科を以つて仮に本件処刑の情状とするならば(原判決は之を酌量したものである。然らざれば原判決の如き刑を科す理由がない。)明らかに刑法第三四条の二の法意を無視蹂躙するものと云わねばならない。

(三)被告人森下は、老令七十才を超ゆる老母及び病弱肺結核の妻恵美子及び幼令八才の長女を擁して生活を維持している者であることは記録上(司法警察員に対する供述)明白であるが、この被告人に実刑を科することは此の境遇より観て明らかに過酷であると云わねばならない。特に老母が被告人の勾留中行方不明となり自殺の虞れがあつたことは記録上(昭和二十六年十二月十四日附保釈請求書類中福知山市警察署長証明書)明らかなのであつて被告人の実刑は重大な悲惨事を起す虞れがある。

(四)被告人森下はその後改悛の情著しく本件第四、第六(一)(二)、第九(一)(二)各事実に関する三丹興業株式会社に関しては悉く関係を断ち岡田栄治郎が右事実に関する一切の権利と財産を支配してその債権を守つているのであつて、森下は犯罪の嫌疑のみを受け何等の利益なく総べて岡田栄治郎に利用せられたる結果となり自ら安んじて他の重大なる事業に献身しているのである。

右(一)乃至(四)を綜合考覈すれば、被告人森下佐七に対する原判決の科刑は著しく量刑不当であると云わねばならないと弁護人は確信せざるを得ないのである。

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